理想的な母親像に対するプレッシャーを感じたり、ついつい子どもに過度に関わってしまったりすることはありませんか。一人の母親としての重責を時には手放し、自分自身の人生を見つめ直すこと――。そんな新たな生き方としての『卒母』について、グラフィックデザイナーの田中千絵さん(50歳)にお話を伺いました。
(※2024年8月7日 朝日新聞の記事を参考に要約しています。)
母親の役割を手放して見えた新たな自分―『卒母』がもたらすゆるやかな親子関係と成長
この春、「卒母のためにやってみた50のこと」というご著書を出版されました。「卒母」とはどのようなものなのでしょうか。
簡潔に言えば、子どもが思春期を迎えた時期に、母親が自ら過度な役割を手放し、子どもの「自立」を支援しようという考え方です。
私自身、大学生と高校生の子どもを持つ母親として、これまで仕事をしながら「良妻賢母」や「丁寧な暮らし」を追求し、懸命に取り組んできました。
しかし、コロナ禍で家族全員が家にいる時間が増えた際に、家族との距離が近くなる中で、ふと自分が家庭や子どものことに対して過剰に関わり過ぎているのではないかと気づいたのです。
完璧な母を目指すプレッシャーからの解放、見えない家事と役割を見直して
完璧を目指してつい頑張り過ぎてしまうことはありませんか?具体的にどのようなことに取り組み過ぎていたのでしょうか。
毎日の食事作りや洗濯はもちろんのこと、トイレットペーパーの補充などの細かな家事や、家族内外の連絡の調整役といった、見えにくい役割まで多くの仕事を担っていました。
――「過剰な役割」の背景には何があるのでしょうか。
例えば「手作り信仰」のように、「母親ならこうすべきだ」という社会の無言のプレッシャーが、あちこちに存在しているように感じます。その結果、完璧な母親を目指して頑張り過ぎてしまう部分があるのです。もちろん、このような役割の重圧は母親だけでなく、父親も「一家の大黒柱」としてのプレッシャーを感じていることが多いでしょう。
――そこで、どのような行動を取られたのでしょうか。
子どもたちが成長する中、自分自身も中年期を迎え、自分が果たしている役割について見直す時期に差し掛かったと感じました。そして、自分の生き方や時間の使い方を模索することが必要だと思い、「卒母します!」と家族に宣言いたしました。
家事をシェアし、親子の関係を見直す。『卒母』の実践とその先にある新しいつながり
――「卒母」をどのように進めていかれたのでしょうか。
私は「寮母」のようなスタイルが良いのではないかと考え、家族全体のシステムや自身の考え方を見直しました。
日常的な取り組みとしては、家事のシェアを進めました。洗濯物に関しては各自の専用ボックスを設け、自分で洗濯を行うようにしました。食事については、冷蔵庫を仕切り、各自の予定に合わせて食材を管理する方法に切り替えました。「おふくろの味」にこだわるのではなく、子どもの好みに合わせることで、私は料理から手を引くことができました。
――寂しさを感じることはありませんでしたか。
寂しさを感じることはありませんでしたが、時折、つい家事をしてしまいそうになることもありました。しかし、「卒母」のプロセスを通じて、子ども自身が自分でできることやできないことを理解し、困ったときには誰かに頼る力を身につけていくと感じました。一方で、私は家事から解放された時間を趣味や自分自身と向き合う時間に充てるようにしました。
――「卒母」後の親子関係はどのように変わるのでしょうか。
「子どもの世話をする」という意味での卒母であり、母親であることが終わるわけではありません。「卒母」後は、これまでとは異なる形でつながり、よりゆるやかな親子関係を築いていくのだと思います。
「卒母」について発信する中で、多くの方々から共感をいただきました。「母親としての役割を手放す」ことは決してタブーではなく、同じ思いを持つ仲間がいると感じています。
家族関係の変化に対応する大切さ、ラライフサイクルに合わせたアップデートを
岩手大学人文社会科学部の奥野雅子教授(臨床心理学)は、家族の関係性をその時々の段階に応じて変えていくことが、家族心理学の視点からも重要だと述べられています。
奥野教授は、個人が成長とともにさまざまな段階を経るのと同様に、家族にも「ライフサイクル」があると指摘しています。たとえば、「結婚する」「子どもが誕生する」「きょうだいが増える」「子どもが思春期を迎える」「子どもが巣立ち夫婦二人だけの生活になる」といったような段階を経ていくのが一般的です。
こうした段階を経る中で、成長した子どもと親との心理的な距離をどのように取るかといった点も含め、「家族の関係性をその時々でアップデートすることが大切です」と奥野教授は語っています。家族のメンバー間でコミュニケーションがうまくいかなくなると、家族全体の成長が止まり、それぞれのメンバーの成長も阻害されるリスクが生じるということです。